2015年11月29日日曜日

浅草ローラー@生駒軒

最寄り駅は新御徒町駅かな。
自宅から歩いて生駒軒、いってきました。
行ったというか、むちフェスっていうのがあって、
それが11月29日のいい肉の日。
浅草橋が会場へ行く途中に、こちらに寄ったざんす。


生駒軒はあちらこちらにあるけれど、どこも独自の店舗ファッサード。
入り口にメニューが貼ってあるのがいいね。



おっと、こっちもだ。


ここはタンメン推しだね。650円か。

入ろう。店内はけっこう狭い。手前のテーブル席に案内された。
真ん中の席は先客の4人グループ。奥のテーブルに女性客。

あっという間にやってきたタンメン。

コシのある麺は、ずるずるいけちゃう。



また来たい。

■生駒軒
台東区三筋1-11-12

2015年11月25日水曜日

MCT@大森 北尾トロ

大森の「萬福」のうまいもん。
店のイチオシは麻婆。



独特なのが餃子
まず酢をかけ、タレもかけ、余分な油を皿に流してから食べよと指導を受けた


外観だけで一見の価値あり。
のれんにマーボー麺と書いてあるのは看板メニューの自信がうかがえる


ゴキゲンになってる下関マグロ隊員である。

スンガリー飯店と町中華が倒してきた食堂のこと(後)

2015.11.25北尾トロ記



ここから先は本来ならじっくり調べて書くべきところで、妄想や推論の域を出ないが、覚書のつもりで記しておくことにする。
食堂と町中華の関係については、MCT活動を始めた頃から頭にあった。町中華を訪れるたび、デジャブみたいな感覚があり、この感じは何かに似ていると感じていたのだ。
全盛期があり、高齢化があり、時代の荒波にもまれ、気がつけば数を減らし、少なくなったがゆえに希少価値が生まれる。町中華は今後、そういう路線を歩むかもしれない。

その先例として大衆食堂を考えてみたいのである。
大衆食堂とは、和食中心の定食メニューと、小皿に盛られた一品料理を自由に組み合わせて食事ができる飯屋のこと。だいたい、アジフライとかサバの塩焼き、魚の煮つけなんかがあり、納豆や目玉焼き、ハムエッグ、マカロニサラダ、ほうれんそうのおひたし、きんぴらごぼうなんてところが常連だ。
合言葉は<おふくろの味>だったりして、ぼくの世代にとっても古い時代の形態に思え、若い頃はあまり行かなかった。それでもたまに行ったのは安かったからだ。月末の金のないとき、納豆と中ライス、味噌汁で200円未満はありがたい。そんな儲からない学生客に、店のおばちゃんは優しかった。九州育ちのぼくが納豆を食べるようになったきっかけは金欠時の食堂だ。

二十歳前後、中野に住んでいた頃に、「やしろ食堂」という食堂チェーンが界隈で勢力を伸ばしたことがあり、やはり納豆とか冷奴を食べていた。1977~78年あたりだ。ぼくにとっては「やしろ食堂」こそ、食堂チェーンのさきがけである(いまでも見かけることがあるので規模を縮小して生き残っているのだろう)。
70年代後半のニューウェーブ「やしろ食堂」が、90年代以降は女性客という新ターゲットを得て、サバイバルに成功し、「大戸屋」に代表される和食系食堂として全国展開するようになったのが食堂チェーンの流れだ。かつてダサかった大衆食堂も、その良いところをうまく受け継がれ、ヘルシーで安心なものへと変化を遂げている。

ただしそれはチェーン店の話だ。
個人経営の小さな大衆食堂はどんどん姿を消していった。すでに70年代には減る傾向にあったのが、80年代に入ると加速し、駅前再開発などで店を畳むところが多かったはずだ。この商売には先がないよということで、後継者不足の問題もあっただろう。客離れと将来性のなさに、ファミレスを筆頭とするチェーン飲食店の台頭が加わって、大衆食堂はじょじょに居場所を失ってしまったのだと思う。
惜しむ声も大きくはなかった。少なくとも20代だったぼくが、雑誌などで目にした記憶はない。大衆食堂がノスタルジックに語られだすのは90年代以降だったろうし、取り扱い方は絶滅危惧種を見る眼付きだった。いまどきこんな…というやつだ。

2000年代初頭、ぼくの仕事場がある西荻窪には4軒の大衆食堂が存在していた。気がつくとひとつ減り、またひとつ閉店し、最後のロンドン食堂がなくなったのが6、7年ほど前だったろうか。どこもいい雰囲気だったしファンもいたけど、若い客がいない。後継者がいない。長年やってきて、そりゃ老後はゆっくりしたくもなっただろう。
古い店が消えても新しい店はできず、代わりに、駅前に大戸屋ができた。個人経営の食堂は、名前だけ食堂となってて、実際にはナチュラル路線といいますか、カフェ的な店ばかりだ。

振り返ると、大衆食堂のピークは昭和30年代から40年代までではなかっただろうか。
大衆食堂の持ち味は、家庭的な味つけや雰囲気が廉価で楽しめる点にある。厨房は男がやってたりもするが、店を切り盛りしているのは女性であることが多かった。
町中華の人気が高まるのは昭和30年代あたり。ピークは昭和40年代後半から50年代と、大衆食堂の後を追うような存在だった。本当は、大衆食堂と町中華がいずれも大繁盛したのかもしれないけれど、大衆食堂は80年代の好景気前に下火になってしまった。

1950   1960    1970    1980       1990    2000
大衆食堂ーーーピークーー衰退期ーチェーン登場ー衰退期ーー全国チェーン
   町中華ーーーーーーーーーーピークーーーーーー衰退期ーーーー全国チェーン

大衆食堂全盛期は町中華も伸びた時代。どちらも町に根づいた庶民派の飲食店だった。あとは蕎麦屋があって喫茶店があって、赤ちょうちん、スナック。
両者が激突したのは1960年代だろうか。上り調子の町中華が、高カロリーとボリュームにものを言わせて、食堂の男性客を奪っていったのだろう。人々が求めるものは家庭の延長ではなく、外でしか食べられない味。その欲求を満たすのは町中華のほうだった…?

そのあたりは今後の研究課題だ。
大衆食堂ほど極端に減ってしまうことはないにせよ、町中華が今後、数を減らしていくことは間違いないと思う。MCT活動をしていると、ネット情報を頼りに足を運ぶと閉店していたということはよくあり、危険水域に入りつつあることが実感できるのだ。
ノスタルジーではなく、現在進行形のレポートをし、町中華という食のカテゴリーから時代の様相を記録&読み解いていきたい。
方法としては、いまのところ「残り方」というアプローチが有効ではないかと考えている。

スンガリー飯店と町中華が倒してきた食堂のこと(前)

2015.11.24 北尾トロ記(下関マグロ、竜超)


京王線東府中駅を午後0時半ごろ出発し、JR武蔵小金井駅で解散したのが午後4時過ぎ。歩数計は1万歩を超えた。この日の行動については他メンバーの記録と重なるので、そちらを読んでもらえるとありがたい。
どうして東府中にきたかというと、北口駅前の「スンガリー飯店」が元気にやっているかどうか確かめたかったからだ。ここには3年ほど前に入ったことがある。そのときはMCT活動も始まっていなかったが、不思議な店名が気になった。
じつはこれ、川の名前。中国の東北地方を流れ、ロシアに入ってアムール川に合流する全長2千キロ近い大河で、スンガリーはロシア語読み。中国名は松花江(しょうかこう)。ちなみにアムール川は黒竜江だ。
同名のロシア料理店もあるが、ここは町中華。満州由来のネーミングが、ロシア料理、中華料理に使われていると考えてると面白い。

かなり年期が入っている。ビルの古さであるとか看板、ドアの感じ、サンプル棚の埃の溜まり具合、内装。いいね、申し分のない古さだ。外観から見積もって30年じゃきかない。40年でも驚かない。サイズも大きく、2階もあるようだ。ビルの壁にはでっかくこう書かれている。
<スンガリーでお食事を。御宴会、御商談、御食事はお二階で>
単品メニューも豊富なことから、もともとは本格中華の店だったと推測される。かつて本格派だった店が何らかの事情で庶民派路線を取り、定食やセットメニュー中心の営業に変化するのはよくある話で、ぼくはその手の店を"降りてきた派"と呼んでいる。

スンガリー飯店はどういう経緯でここに居を構えたのだろう。店で聞くのが早いと思われるかもしれないが、そんなことはいつでもできるじゃないですか。「いつからですか?」「 もう○年になります」「なぜ東府中で」「手頃な物件あったんで」。最短でそれだけの会話だ。事実なんてそんなもんだ。

もちろん最終的には知りたいし、訊かなければならないのだけど、ぼくにとって最重要ではない。
ついでに言うと味もさほど重視してない。この点に関してはMCT内でも意見の分かれるところで、それぞれの優先順位は違っている。外観、店主、味、看板料理、歴史、オリジナルメニュー、町の雰囲気などなど、語るポイントは多岐にわたるのが町中華探検の醍醐味だ。

ぼくの主たる興味は2度の東京オリンピックの間に町中華がどのような経緯をたどってきたかにある。隆盛を極めた食文化のひとつが、社会情勢を反映するように超高齢化の波にさらされ、急速に衰退しつつあることをふまえ、町中華の2020年モンダイを自分なりに調べていきたい。だから味の良し悪しは二の次。めっちゃまずかったとしても気にしない。まずいのに支持され、生き残ってきた理由を考えてしまう。



スンガリー飯店の100メートルほど先には2軒の食堂が並んでいる。そのうちのひとつはいかにも昔ながらの形態のようだ。航空自衛隊府中基地へと続く道路に、他には大して目立つ店がない。東府中というのは、ここを起点に1駅区間だけ走る府中競馬場への乗換駅で、隣にある府中駅のオマケみたいなところだった。ぼくは高校時代から10代の終わりにかけて沿線に住んでいたが、東府中で降りるのは競馬場に行くときだけ。競馬場側はポツポツ店があったけれど、基地のある北口は閑散としていた。

いまはマンションだらけでベッドタウン化しているようだが、昔の名残は食堂の先にもあった。マンションの狭間にソープランドとホテルが建っているのだ。いかにも唐突な印象だが、建物を見るとソープやホテルの方が古い。なぜこんな住宅地に、と考えるとわからなくなるけど、競馬場の客と自衛隊員を当て込んだと考えれば、好立地なのかもしれない。


府中基地は戦前、陸軍が使い、戦後は米軍が進駐。昭和32年(1957)からは自衛隊との共同使用となり、昭和50年(1975)に米軍が横田に移転した後は、航空自衛隊府中基地として使われている。
たぶん、その頃はマンションなど数えるほどしかなかったことだろう。たぶん民家が建っていて、そのうちソープができた。自衛隊の中には食事施設があるはずだから、食堂は地元客でにぎわったんだろうか。このあたり、ちょっと入ると住宅地ばかりなのだ。

70年代以降、中華はスンガリーの独壇場だったわけではないだろうが、現存するのはここだけ。もう1軒あるとの情報を得ていたが、閉店していた。
自衛隊基地を核に人口増加が始まった東府中。1975年以降の40年間に、どれだけの店がオープンし、消えていったことだろう。駅前にはファミレスもできた。そんな中、2軒の食堂が残っているのは称賛に価すると思う。
町中華をやる上で、食堂文化の研究は欠かせない。レトロ食堂みたいな扱いで取り上げられるのを見るたびに、まるで町中華の未来を見せられている感じがしてしまうからだ。
(長くなったので、つづきは後編で)

2015年11月24日火曜日

竜超のMCT備忘録 東京都府中市の巻

11月24日(火) 京王線東府中駅改札 正午集合
参加者◎北尾トロ、下関マグロ、竜超

前回の大森攻めから中三日、というハイペースでの町中華探検。今回は、府中競馬場に近い「東府中駅」周辺を探る。

改札前に正午集合・・・のはずだったのだが、マグロ隊員から「家を出るのが遅くなり、到着が遅れる」との連絡が入る。長野から直行してきたトロ隊長と合流し、近くのファミレスでマグロ隊員を待つことに。その後、電車の乗り間違えなどが重なって大幅に遅れたものの、どうにか合流。今回も参加者はMC3、またの名を「町中華三人衆」なり。

北口方面に出て、数軒の候補店をまわる。閑静なベッドタウン、という感じの街だが、その中にフーゾク店やらラブホテルやらが紛れていたりするのが面白い。「航空自衛隊府中基地」の前を通ったら、なんかマグマ大使に変形しそうな航空機が展示してあったのでパチリ。


例によって、すでに閉店した店などもあったが、駅から30分ほど歩いたところにある1店に決定。マグロ隊員イチオシの店で「萬来軒」という。店内に貼られている店の資料によれば、創業は大正13年で、偶然にも産声を上げたのは、現在ボクが事務所を置く新宿区上落合だという。府中市には昭和45年に移転してきたんだそうだ。

2時過ぎの店内ではサラリーマンや家族連れ、老夫婦などが静かに食事を楽しんでいた。奥には熱帯魚の水槽があり、壁には寄席芸の切り絵がたくさん飾られていた。三世古今亭志ん朝のパネルなんかもあって、寄席好きの御主人なのかな。

日替わり定食(600円)もあったが、トロ隊長はカニ入りの「あんかけチャーハン」、マグロ隊員は生卵ののった「スタミナラーメン」、ボクは「鶏唐丼&ミニラーメン」のセットをオーダー。プラス餃子2人前ね。


あんかけチャーハンはあっさり、対するスタミナラーメンはこってり。そして僕の鶏唐丼はドレッシングがけのレタスがのってたりして、なかなか凝った味付けなり。ミニラーメンはシンプルなしょうゆ味で、チャーシューが味わい深くて肉食系のボク好み。


会計時、トロ隊長が「この店目当てに歩いて来たんですよ」と言うと、お店の人は喜んでくれた。遅ればせながら「オススメは?」と訊くと、今日は誰も頼まなかった「パーコー麺」だという。嗚呼・・・!

京王線まで戻るのも、JR駅まで行くのも同じくらい遠い、とのことなので、散歩を兼ねてJRまで歩くことに。小金井駅まで来たところで喫茶店に入り、恒例の油流しとなる。MCTの今後のことや、今年最後の大規模探検のことなどを話しながら4時過ぎまで。今日はまわった店は少ないが、歩いた距離は長かった。普段は4ケタ止まりだというトロ隊長の万歩計も、この日は14000カウントを超えてましたとさ。

MCT東府中アタック 萬来軒

先日、テレビ東京の「なないろ日和」という番組で、見栄春氏と散歩をした。収録の合間に、見栄春氏より、行きつけの町中華を聞いてきた。そんな話を北尾トロにすると、「いいねぇ、じゃ、次のMCTは府中でいいんじゃない。その店、行こうよ」とのこと。さらに「東府中にスンガリーって店があるから、そこ行こう」。それって東府中でしょ、府中は歩いて行けるのかと、聞けば、大丈夫、大丈夫の返事。

というわけで、11月24日火曜日12時に東府中駅前。自分は、遅れそうだとあわててしまい、電車を二度も乗り間違えて、30分遅れで到着。申し訳ない。


北尾トロ隊長、竜超隊員はガストで待っていてくれた。すまぬ。というわけで、今回も3人だ。
これで固定となるのか。けっきょくは年長者だけが残ったということで、今後はMCT4ではなく、
MCT御三家での活動が中心になるのか。


駅前は品川街道が通っている。品川街道は、かつて筏道とも呼ばれていた。多摩川で材木を伐採し、筏に組んで、品川まで運ぶ。帰りは陸路で、この品川街道を通ったそうだ。

そして、駅前からもう見えているぞ、スンガリー! 目立ってるね。


「スンガリーでお食事を」という看板が胸躍らせるね。ちなみにこの通りは、平和通りというらしい。


なんか、昭和モダンなかんじ。
これは入りたい。


500円のラーメン食いたいぞ。


この先には航空自衛隊府中基地があった。手前にソープランドもあり、なんだかのどかな田園風景も広がっている。

探したけれど、見つからなかったのが「中華ぢっちゃん」だ。自転車で通りかかった警察官に聞けば、どうやら閉店した由。ここでも、町中華の衰退に直面。

自衛隊の基地ぞいに新小金井街道まで出る。


それにしてもいい天気だ。厚着をしていると汗ばむほどだ。
新小金井街道に出ると、あったのがこちら。


住宅街にたたずむ「中華飯店 さたけ」。これはいいかんじ。


オリジナルのノレンがいいね。子供がラーメンを食べている絵もいいし、本日のランチ、「親子丼とラーメンセット」も写真付きでいいかんじ。

さて、ここで思案。見栄春氏推薦の町中華とこれから行く大正13年創業の町中華。距離が離れすぎているので、どっちかってことになる。北尾トロが「そりゃ、大正13年でしょ」ということで、我々は、ここから徒歩20分の萬来軒へ向かった。


新小金井街道より一本西側の道を北上。
こんな田園風景が広がる。


住居表示が浅間町となった。

不思議な建物などはあり、しばしたたずむ北尾トロ。


しばし、歩いて学園通りに出ると、萬来軒はあった。


腹減ったねぇ。さあ、入りましょう。


いろんなメニューがあるようだ。


オリジナルのノレンには「なつかしくて あたらしい味」とあった。
いいキャッチフレーズだね。

僕は迷わず、スタミナラーメン。1985年からの人気メニューだそうだ。
店内には昔の写真も貼られている。大正13年に幡ヶ谷で開業。

今の場所は1985年からだそうだ。


北尾トロはあんかけ炒飯。

竜隊員は唐揚げセット。

僕がスタミナラーメン


麺がもちもちでおいしかったねぇ。ボリュームが結構あった。



ありがとう。満腹だぜい。
武蔵小金井まで歩こう。
さっそく、見つけた町中華。「らーめん どんどん」さん。


東八道路を超えて北上。


ラーメン宗二郎や鉄鍋餃子の看板も見える。


武蔵小金井駅あたりに到着。きょうの油流しは。。。

Frontierさん



今日もたくさん歩いた。


■萬来軒
183-0001 東京都府中市浅間町2丁目4−19
定休日:木曜日第三水曜日


2015年11月23日月曜日

華春楼@浅草

浅草ローラー作戦では、いろいろと新たな発見もある。

言問通り、観音裏にある華春楼さん。


見た目、本格中華のお店っぽい。



町中華かどうかは異論のあるところかもしれないが、
まあ、僕は町中華ではないかと思う。
それは、値段。


けっこう安い。というわけで、店内へ。


麺が食べたかったので、ざっとこのあたりを見てたんだけど、広東麺がいいかな。
しかし、メニューに見当たらないなぁ。迷っている僕にお店の女性が待っている。
「あの、広東麺を」
というと、
「はい、わかりました」
とのこと。
「あの、このメニューでいえば、何になるんでしょう?」
と聞けば、
「五目そばの塩味になります」
とのことだ。広東麺と言えば、醤油味じゃないのか。
まあ、いいや。

やってきました「広東麺」。ちょっとイメージと違うかな。
食べてみると、これがけっこうおいしい。
いろんな具材がこれでもかと入っていて、まさに五目。

麺は細めのストレート。
けっこうたっぷり。

おいしゅうございました。
で、680円。
思わず、レジのおじさんに
「安いですねぇ」
と言うと
「よく、言われる」
と中国なまりのある日本語でおっしゃって、にこっとされた。

後日、どうしても気になっていた、五目あんかけ焼きそば。



こちらも、旨い!
そして、680円。安いねぇ。